私の岡山大学30年から生まれたもの

―教育と研究の成果―



 

 

  岡山大学 名誉教授 竹宮宏和

                    講演内容

 

 皆さん,こんにちは.今日は,私の岡山大学退職に対して,かくも盛大な記念行事を企画開催してくださいまして,厚く,御礼を申し上げます.

 今日の行事で、第1部として,講演会を御用意くださりました.これから,私は,「岡山大学の30年から生まれたもの」と題し,元学生の皆さんとの接点でありました「教育と研究の成果」を副題としまして50分程,お話をさせて頂きます.

 私は,昭和51年の9月に岡山大学へ赴任してまいりました.工学部土木工学科は,創設されて3年が経っていました.米谷先生,森先生,河野先生,名合先生,阪田先生、河原先生が既にいらっしゃいました.岡山へやってきて,まず,「岡山は暑いところ」という印象をうけました.私は,岡山へ来る直前は、バンコクにありますアジア工科大学という大学院大学で教鞭をとっておりました.そこは南国です.しかし,この年は,バンコクよりも暑い岡山の夏を過ごしたと思います. 101日より始まる学期の一カ月前は、岡山生活に慣れるための時期でした.生活の中では,岡山弁が大変でした.言葉が含むニュアンスがなかなか掴めないからでした.

 学期が始まり,「土木設計製図」と「構造力学2」の講義を担当しました。森先生から参考にと手渡されましたノートには,「土木設計製図」の概要があり,レタリングの教本はそのまま使わせ頂きました.このお陰で,私もレタリングが上手くなりました.「構造力学2」では,不制定構造の解法を取り扱いました.一ヶ月前まで,この内容を英語で教えておりましたので,私のノートには技術用語が英語のままあってうっかり使用することもあり、当時の学生諸君は大変であったかと思います.

 10月になりますと,大山で測量実習がありました.私は森先生のご指示を受けて,鳥取大学の桝水高原にある鳥取大学研修所施設へ23日で同行しました.学生の皆さんは,牛の群れの中で平板測量に集中しておられましたが、監督の私は散歩もすることができました.

 私の所属した設計学講座は,森先生が教授でした.学生さんの研究室への配属が決まり,第1期生の全設計学講座に配属された内,構造を勉強したいという人4人を直接指導しました.この時期,私の研究の興味は,杭基礎の動的解析・耐震解析にありました.丁度,本四架橋の番の州の耐震解析を研究対象にしており,群杭解析に意欲的に取り組みました.そして更に,橋梁構造物の上部工と下部工の練成解析を図る動的サブストラクチャー法を確立する研究を精力的にしました.ロケットのランチャーが衝撃載荷に対して、動的サブストラクチャ法で設計されていること,海洋ジャケットの波浪設計も同様で,他領域の調査も多いに勉強しました.

 動的サブストラクチャ法は,連続高架橋の耐震解析に際して,威力を発揮する手法で、第2期生,3期生とコンピュータ解析に寝食を忘れて没頭しました.当時のコンピュータ環境はカード式入力を使っており,キーパンチャで一枚一枚作成しておりました.一プログラムの枚数は,2000枚程度あり,リストA3サイズの30枚程度への印字でした.この方式はその後8期生まで続きました.その結果,高架橋に動的サブストラクチャ法を適用した論文発表は,翌年の土木学会賞の田中賞となって実を結びました.10年前に頂いた「論文奨励賞」に続いて,2度目の土木学会受賞でした.

 さて,本四架橋が実設計に入り,動的耐震解析が詳細になされる時期に来ておりました.私の研究室は、本四公団第2建設局から受託研究を受け,7径間与島高架橋を扱うことになりました.この研究は、桁尻ダンパーの制振効果を検討することでした.第4期、5期生の協力を得て,振動台実験を行いました.データレコーダは京大の山田先生からお古を拝借しました.同時に,速度依存型の非線形な特性を効率よく逐次応答計算へ導入することに,やはりサブストラクチャ手法を適用しました.併せて地盤との非線形な動的相互作用解析に従事しました.

 耐震構造分野で有限要素法が実務設計において定着してきたのは1980年代の初期でした.土木工学研究分野で開発されてから10余年を経ております.構造解析ではSAP-IVが業務において使用され始めた時期で、パソコンレベルでは,CAL78が簡便でした.これらを第6期,7期の学生諸君と一緒に、研究室の端末から当時の計算センターのメインフレームを動かせて自由に使えるように整備しました.研究室のディスプレイ上でプログラムのエディットができるありがたさを痛感しました.第8期生のときは,地盤と構造物の動的相互作用解析コードを3次元有限要素法に充実させました. SSIPと名づけて、これを使用して大型構造物の耐震解析に使用いたしました.日本鋼管鰍フ溶鉱炉,住友金属工業鰍ェ開発中の原油掘削ヤグラRGPが対象でした.この時期,米国カリフォルニア大学バークレー校から長期滞在の研究開発と,ユーゴスラビアのマケドニア地震工学研究所から共同研究の誘いがありました.前者を選んで,昭和58年の8月から10月までの2ヶ月余の米国カリフォルニア大学バークレー校地震工学研究所の客員研究員として滞在しました.

第 910期生には、杭基礎の解析を指導しました。以前は、解析的なアプローチでしたが、この期には薄層要素法を適用しました。

 この時期、私の研究室で中国から留学生を受け入れました。彼の中国での指導教授が日本の大学留学の経験をお持ちの方で、文部省から私の研究室へ配属されてきたのでした。彼が研究室に加わったことを契機に、私の中国の大学との交流が始まりました。大連理工大学、浙江大学などを訪問する機会ができました。これらの大学との学術交流から、新たに学生をとることになりました。かれらが研究室の主戦力となり、研究室の学術レベルの向上を大いにはかることができました。

 第11期生の頃から,沖積層地盤の地震波の増幅問題に興味を持ちました.手法として境界要素法を適用し始めました.最初は,ソース法をとり,振動数領域での薄層要素法による2次元モデルで半解析的に求めて解を適用しました. 12期生において、衝撃載荷問題を取り扱い始めました.13期生には地盤の特徴である不整形性とか、変形性状に従った非線形解析をお願いしまた。14期生には衝撃載荷応答を解析的にあるいは数値的に時間領域直接境界要素法を適用して求める課題を指導しました.地震波が軟弱堆積層の存在によって増幅される様相を評価できました.解析結果の図をイラスト化して国際会議論文集の表紙に採用されたことは,うれしかったです. 15期生に至って,時間領域直接境界要素法応用例として,地盤振動の遮断法の開発に着手しました.いわゆるWIB工法の開発原理です.同時に地震波の入射問題も完成しました.以上の研究成果に対して,その翌年度に土木学会論文賞を受賞しました.3度目の土木学会賞です.この理論研究は,後日に,防振工法,英語でWave Impeding Barrierの頭文字をとり,WIBと名づけて、平成5年に「WIB工法」として商標登録しました.この頃,ドイツ国のルール大学の教授と交流を始めました.加振問題,入射問題に境界要素法を適用した研究が進みました.

16期生の研究においても,WIB遮断理論の基礎をコンピュータ・シミュレーションによる波動場から検証しました.これらの知見を特許申請をし,後日,取得しました.同じころ地盤改良工法を応用した工法特許も取得しました.

 平成5年(1995)119日,阪神・淡路大震災が発生しました.このときは,耐震工学に従事する全ての研究者が,その原因究明に引きつけられました.というよりは,専門知識を以って社会へ貢献すべきと考えました.理学部の鈴木先生はじめ、岡山の企業の方々のご協力を得て、現地資料の収集に始まり、コンピュータ・シミュレーションを行う多忙の1,2年を過ごしました.傾斜堆積層の地震波の増幅の説明をBamp現象として発表しましたので、報道陣からインタビューを受けました.テレビへの出演もありました.その後、平成7年「岡山の地盤震動研究会」を立ち上げ、岡山南部域のボーリングデータ約3000本を整理し、軟弱表層厚さ反映繰り返しさせた卓越周期分布図を作成し、岡山県受託研究として海洋型南海地震の被害想定をおこないました。研究室の研究活動は,耐震問題と衝撃問題の2つのトピックスを抱えることになりました.

 第17期生には,遷移応答解を求める2次元,3次元の半無限体問題を論文指導しました.

 古典的に波動論解を得ること,薄層要素法を適用して準解析解を求めることに邁進しました.

 第18期生とは,名古屋湾岸道路の建設において,ラム・ハンマー型杭打ち機の振動が近隣の精密工場へ与える影響を調べるため,計測に出かけました.また,新幹線振動を計測するため,遠路,米原,浜松まで出かけました.盛土上の新幹線振動への予測と振動対策への解析ツールを開発しておりましたので,その検証のために実測データが必要でありました.JR総研の方にも大変お世話になりました.シミュレーションの方は,関心が高架橋へ進み,19期生、20期生に研究を引継いで行ってもらいました.併せて,WIB工法の開発を杭基礎を対象として行いました.阪神高速道路の高架橋からの車両交通振動に対する技術的な問い合わせがあり、道路高架橋の振動予測を始めました.耐震補強をした高架道路橋からの交通振動が、以前より大きくなったのはなぜか?を究明するのです。深い基礎から放射する振動が,軟弱地盤を伝播していくうちに地盤特有の低周波振動に変化していくメカニズムを20期生、21期生と一緒にコンピュータシミュレーションから解明し,その抑止法を開発することに調査研究を進めました.衝撃載荷による地盤振動の発生は,地震動の発生メカニズムと同じ原理であるので,断層地震の予測問題への研究も手がけました.

 交通始め,建設現場振動,工場振動などのいわゆる環境振動問題を社会問題として捉え,受けている負荷を工学的に解決をして,軽減を図ることの重要性を説いて,平成11年に地盤工学会内に委員会を作りました.構成委員は,鉄道関係,建設業関係,大学からと広く募り,総勢22名で活動しました.平成17年には,地盤振動対策工法のWIB工法の開発に対して,地盤工学会から研究業績賞を頂きました.環境振動を,従来の環境アセスメントの域を越えて、原理から対策工法までを力学のアプローチでカバーする工学は,地震工学のサイスミックに肩を並べるということで,「パラサイスミック」という言葉を使い,工学的手法を啓蒙することに努力しました.いままで国内でシンポジウム2度,また国際シンポジウムを3度,実施しました.国際シンポジウムは,ISEVと名乗って.中国の杭州,岡山,台北で開催し,来年,北京開催を予定しています.岡山開催の折は、皆様にお世話になりましたことを改めて御礼申しあげます。岡山開催の翌年,地盤工学会から功労章を頂きました.

 高速列車に伴う沿線環境振動評価が,スウェーデン国鉄主催で開催されたシンポジウムを契機に大きな研究室の研究テーマとなりました.列車の高速走行は,衝撃載荷と同様な加振状況となるので,これまでの研究成果が,即,形を変えて適用できました.研究成果を踏まえて,北欧の研究者と交流が始まりました.特にスウェーデン国鉄から貴重な実測データを提供して頂き、これをベースに、後日、最先端の理論で国際論文を2,3編書くことができました。

 平成610月になりますと,研究室の名称が環境理工学環境デザイン工学科・環境防災研究室となり,環境理工学部第1期生を受け入れて,旧土木工学科の設計学講座の22期生と一緒に在籍することになりました.研究室は、以前、旧土木棟の4階でした。研究内容は,全く変わりはありませんが,ウェイトを環境振動問題にかけるようになりました. WIB工法を和歌山県南紀白浜の近くのバイパス国道311号で実施したときには検証実験のために計測に出かけました.またNPO活動においても工事見学会を催しました。研究室は総合後日、研究棟の2階に移りました。

 環境第2期生から5期生とは,倉敷市船穂の新幹線高架橋の計測によく出かけました.ここは計測に絶好の場所で,得られたデータを基に国内雑誌に論文を2,3編,国際ジャーナル論文2編を書きました.また国交省岡山国道事務所から相談を受けて,国道2号の西大寺バイパスの高架橋の振動問題を扱い,計測にも出かけました.このフィールド計測を通して,7期生の段階で、交通車両による振動の軟弱地盤への伝播メカニズムが解明できました.それを基にハニカムセルWIBの設計をより効果的また信頼あるものとしました。

 平成1410月には、非営利活動法人すなわちNPO「環境振動の評価・予測・対策研究会」を設立し、民間会社の方たち20名余と、狭義の環境振動から、広く耐震防災の問題まで含む内容を中心に活動を始めました。

 この時期,台湾新幹線の軌道が台南科学園を通過する建設が予定され、沿線ハイテク産業への振動対策への国際入札がありました.高架沿線において,低周波振動約5Hzに対する数dB以上の減振が要求され、WIB工法も参加しました。途中,計画が頓挫して,台湾方式の扱いになりましたが,私は関係した成果を国際技術専門誌に掲載しました.この論文はその後、多くの研究者に参考にされております.このときの情報に基づいて同様な大規模のWIB工法が首都圏の事業所から出る低周波振動対策として採用されました.施工後,近隣住家からの苦情がなくなりましたとの言葉を頂きました.

 振動対策のWIB工法は進化して,プレキャストコンクリート製の壁面と廃タイヤシュレッドを使用しての工法が加わり、それらの実証実験をしました.科学振興機構,岡山循環型社会形成の開発助成を受け、地盤のことなる岡山市建部と藤田で実施しました.冬の寒い日の雪の中,夏の暑い日の灼熱の太陽の下,8期生〜10期生と共に実証実験をいたしました.

 思うに、私は学生さんをはじとする多くの方々に支えられ、自分の仕事を実り豊かなものにすることができました幸せ者です。今後は、培った知識と技術を活かして社会に貢献したいと願っております。ビジネスは私にとって未知の世界です。大学では私が先生でしたが、これからは皆様が先輩です。どうぞ、よろしくお願いします。

 本日は,ご多忙のところ,私の岡山大学退官記念行事を開いてくださいまして,誠にありがとうございます.

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